「一番やりたいこと」をとことん考える。

自分のやりたいことがわからない人は、本当にたくさんいると思います。  

情報が溢れ、手軽にチャレンジできる環境も整いつつあるなかで、昔より知識の吸収や行動へのハードルが下がったはずなのに、「自分が一番やりたいことがわからない」という人は後を絶ちません。 仕事につながること、人に馬鹿にされないこと、簡単に賛同を得られることの中で、なんとか自分らしく楽しめることや興味があることをやってみる。 

しかし、やってみた結果得られる満足感は、自分が求めていたものとはなにかが違う。 

かつては私もそんなひとりでした。 

 「やりたいことがわからない」ということと、「やりたいことをやったけど満足できない」というのは、行動しているかしていないかの違いだけであり、「自分を知る」といううえではどちらも明確になっていません。 

やりたいことがわからず一歩を踏み出せない慎重派と、できそうな範囲でやってみることで進んでいるような錯覚をおこす行動派。 

どちらにせよ、「根底の欲求」「好きなこと・満たされること」「やる理由」が自分でもわかっていない状態。 

なぜそれらを明確にすることが難しいのか、なぜ多くの人が自分の求める生きかたにたどり着けないかを真剣に考えていく必要があります。  

「一番やりたいこと」は賛同を得られない

1つ目の理由は、ほとんどの場合「一番やりたいこと」は身近な人の賛同を得にくいだけでなく、社会の98%以上からも賛同を得られないものだったりします。 

世界のたった2%ほどの、大きな夢に向けてチャレンジしつづける人だけが応援してくれるようなこと。クラスに一人理解者がいるかいないか。 

つまり自分だけでも「やり抜く信念」を維持できるかどうかが重要になります。  

「一番やりたいこと」をこじらせて「ニセの一番やりたいこと」に没頭している

2つ目の理由が、「二番目以降にやりたいこと」は比較的容易に、賛同や応援を受けやすいということ。 「二番目以降にやりたいこと」にチャレンジする姿は、人に勇気を与え、自分もやってみようという希望を与えます。 

夢に向かってチャレンジする、好きなことをして生きていく、そんな輝かしい印象を与えます。また自分自身も、困難を乗り越え努力しながらも「自分らしく生きていく」というチャレンジにやりがいを感じていきます。

 しかし「二番目以降にやりたいこと」の中に「一番やりたいこと」でしか得られないものを期待するため、やり方に矛盾が生じてきます。 

もしくはやりきったところで、自分が求めていたものはそこにはないと気づくことになります。いくら成功しても、結果が出ても、人が喜んでくれても、自分は満たされていないことに気づきます。 

「一番やりたいこと」はコンプレックスとむすびついている

結果が出るまで誰からも賛同を得られないこと以外に、「一番やりたいこと」を明確にできない理由のもうひとつが、コンプレックスと向き合えないことにあります。 

「一番やりたいこと」をやるプロセスで、劣等感や苦手意識をジリジリと成長させていくことが必要になります。 自信がない部分をそのままにするのではなく、努力で補っていくことで、「一番やりたいこと」をやりきる力やスキルを高めることがとても重要です。

「一番やりたいこと」は一生涯のライフワーク。

「二番目以降にやりたいこと」は今を楽しむ遊び心を大切に。

「一番やりたいこと」は正直時間がかかるし、すぐに結果が出にくいことが往々にしてあります。けれども人生をかけてやってみる価値があるし、結果よりもまず、「一番やりたいこと」を自分で認めて挑戦していることそのものに価値があり、のちに大きな成長を感じられるでしょう。

 誰かの賛同よりも、自分が自分の望みに対してとことん正直かつ忠実であることがなにより大事です。 コンプレックスを克服して、人が無謀だと思うようなことにチャレンジする姿は、最終的には多くの人の心を動かします。 

「一番やりたいこと」は自分との約束のようなもので、それと向き合いつづければ必ず精神的満足感が得られます。 

長年かけて挑戦しつづける「一番やりたいこと」があれば、「二番目以降にやりたいこと」はその時々を楽しむ遊びやゲームのように気軽にトライできるようになります。 

 「自分がやりたいこと」がわからない、わかっているはずなのに情熱が続かず、結果が出ても満たされないという人は、いま一度「一番やりたいこと」についてとことん考えてみるとよいのではないかと思います。

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