プロセスとストーリーが価値を持つ時代

久々に「つくる」という作業に集中するなかで、アーティストたちの活動や作品を自分事としてあらためて見つめ直すと、とても気づくことが多いです。

目に留まる作品や作家には共通点があり、社会的評価、風潮、流行りという、外側に設定されている価値基準のリングには決して上がらないという姿勢を感じます。

アートはそういうものだから当然だと言われればそれまでですが、その中でも群を抜いて潔く、作家自身の美意識や哲学性があらわれている作品は強く心に食い込み、ブレが一気に修正されるような力があります。

背筋が伸びるというか、キリッと正されるような感覚と、腹の底からワクワクしたりチカラがみなぎって満たされる感覚。

常識の外側を生きているだけで、そのアーティストにとってはそれが普通のことなのだけれども、作品をつくったり表現するという部分だけでなく、人生のすべてを自分の美意識に没入させて生きる潔さは、そう簡単に真似できるものではないなと思います。

簡単ではないけれど自分もそうありたいと感じるからこそ、危険に見えても、安全な道よりしあわせな道を歩みたい。

解決ではなく、プロセスとストーリーが意味を持つ。

価値を認めてもらうことと経済活動が結びつきすぎた社会の中で、リングを降りるという生死をかけたサバイバルを選ぶ人はそう多くありません。

そんな無謀ともいえる生きかたに腹が据わっているからこそ、死生観をもったアーティストや、生きることへの探求が尽きない表現者たちの言動は人を惹きつけるのだと思います。

便利なもの、役立つ情報やサービスなどが溢れすぎて希少価値が下がる一方で、ニーズに応えることよりも、創造的なプロセスそのものが意味を持ちはじめています。

大事なのは言葉だけでは表現しきれない「生きかた」から生まれるストーリーなのだと思います。

「答え」を探しているあいだは見つからないもの

情報が溢れると「答え」を先に手にすることができます。

どうすれば良いのか、どう考えればいいのか、おおよその答えがほぼ無料で手に入る時代。

自分の中にある「答えの探し方」さえ語り尽くされている。

なのに多くの人が未だに生きづらく苦しいと感じるのは、答えを得ることができても人生が変わっていないことに原因があるのだと思います。

そうしてさらに、まだ自分の知らない答えが他にあるのではないかと探しつづける。本質的な言葉(答え)はどれも根っこは同じで、それぞれの人生体験を通じて様々な角度から言い表しているにすぎない。

もちろん自分にしっくりくる表現に出あうと理解は深まるかもしれないが、それでも人生は変わらない。

リングを降りて評価の基準の外側に、自分から始まる世界をつくっていかない限り何も変わらないのだと思います。

何の意味があるのか?どんな価値があるのか?

それを決めるのは自分以外の誰でもなくて、自分が大事にしている価値や意味の体現に没頭することこそ、命を燃やすが如く生命力を溢れさせることなのだと感じています。

「生きている!」という感覚が全身にみなぎる生きかた、燃える体の内側が外側にめくれてひっくり返るような生きかたがしたいとつくづく思います。

それこそ情報が溢れて答えを知り尽くした私たちにできる、幸せな答えあわせなのかもしれません。

 

 

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