新しいことを始めるための情熱はどこからくるのか。

何かをスタートさせるタイミングというのはいつでも、ワクワク感がみなぎってエネルギッシュになるものです。

10代の頃あるジャンルの音楽にはまり、毎日学校が終わればレコード屋に通って情報収集。音楽雑誌を読みあさり、音源をジャケ買いしては裏面のTHANKS欄にあるバンド名を調べてまた新しいアーティストを見つける…

知りたいという情熱と執念でいつの間にかそこそこ詳しくなり、ライブイベントを自分でオーガナイズするところまで没頭していきました。

若い頃のバイタリティを思い出すと、未知なジャンルのものほど熱量があふれていたように思います。

しかし年歳を重ねると、新たなスタートに対する抵抗が生まれて腰が重くなってきます。

 

その理由を考えてみると、学生時代は「やりたいこと」だけに目を向ける時間と余裕があったのだと思います。

しかし、大人になって社会に出てると、やりたいこと以外に「生きるために必要なこと」がたくさん増えてきます。

生きるために必要なことは人生のステージによって変わり続けるものだと思いますが、その新陳代謝が落ちてしまうと、不必要なことも惰性で続けてしまいがちです。

 

大抵の場合「仕方なく継続しているもの」が、不必要であるにも関わらず邪魔をしていて、新たな挑戦への情熱を奪っています。

スタートを切るまでも腰が重いのですが、何とかスタートしたとしても「仕方なく継続しているもの」は足取りを重くします。

やりたい気持ちとなかなか動けない自分とのあいだで葛藤し、自己嫌悪に陥る人も多いのではないかと思います。

「情熱」を分解して考えてみると、「創造意欲」と「抑圧からの脱出力」が浮かび上がってきます。

 

純粋に自分から何かを生み出したり、表現したいという思いがあふれていること。

そして、自分の可能性やポテンシャルを制限しているものを打ち破りたいという衝動。

人や社会に反発するのではなく、自分でつけてしまった制限を打ち破るために機能しはじめると、情熱がぐんぐんと湧いてきます。

「仕方なく継続しているもの」の正体はいくつかのパターンにわかれていて、

・なんとなく惰性で続けていること

・お金や仕事と結びついていていること

・人間関係が絡んで決着がむずしいこと

このどれかに当てはまることが多いのではないでしょうか。

 

「なんとなく惰性で続けていること」をやめられないのは、そのことをやめたからといってとくに「やりたいことがない」という場合に起こりやすいものです。

「お金や仕事と結びついていること」で仕方なく続けているものがあるとすれば、ライフワーク(人生をかけて追求したいこと)とライスワーク(ご飯を食べるための仕事/収入のための仕事)のバランスを見直す時期かもしれません。

「人間関係が絡んで決着がむずかしいこと」をやめられないときは、その相手とのあいだに「取引的な関係性」があるか(もしくは恩や借りを返さなければいけないという責任感がある)、理解しあえる仲間を確保したいという共感欲求が強いことが考えられます。

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これまでの経験を振り返ってみても、この3つのことが変わらないかぎり情熱を自然に持続させることはむずかしいと感じています。

前進したい気持ちをすこし落ち着かせ、自分と向き合うこと、自分にとって何が一番大事なのかを掘り下げることが大切だと思います。

力づくで気力を維持するのではなく、自然に情熱が湧き上がるように状況を整えていくこと、自分が納得できるところまで自分の本心を探ることによって、情熱を絶えず持ち続けることができます。

 

深掘りした分だけ、無心になって情熱的に行動に打ち込める。

不要なノイズが消え、腹の底から納得していると、たとえ大きなチャレンジでも楽しんで進んでいけるようになります。

情熱とポテンシャルを引き出すために、日々自分と向きあうことが大事だと思います。

 

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